地域医療の実践と研究

地域医療研究会後期研修プログラム

地域医療研究会後期研修プログラムが目指すもの

地域医療研究会後期研修プログラムが目指すもの

地域医療研究会後期研修プログラム委員長 和田忠志

 私は、「総合医」の問題をずっと仲間と共に考えてきましたが、最終的に、私どもが求めるものは、「主治医」だということがわかりました。それについてお話ししたいと思います。

主治医とは何か

 私どもは、「専門的な技術」を自分のアイデンティティとするよりは、「主治医」というアイデンティティで仕事をしたいと思っています。特定の臓器の領域を得意とする医師は、専門領域の患者さんが自分のところに来ることを期待し、自分の「技術」を振るって患者さんを治療することに生きがいを覚えるかもしれません。もしかすると、自分の専門領域以外の患者さんが来ると、生きがいを感じることが少ないかもしれません。また、患者さんも心得ていて、例えば、眼科の先生に「お腹が痛い」とは言いません。
 一方、「大部分の医療」とか「継続診療」に責任を負い、患者さんの「生活」とか、「社会背景」とか、「家族」へ配慮しながら医療を行うことを考えると、「主治医」というアイデンティティで仕事をしたい、という考えに行き着いたのです。
 私どもは、「人間としての主治医」を考えています。人間にとって、かけがえのないものは「交換不能」です。例えば、「恩師」や「親友」は、かけがえのない関係で、そのような人物は交換不能です。例えば、ある書道の先生に10年、20年と習字を教わったとします。ある時、より優れた別の書道の師範に会っても、長年教わった先生が「恩師」であり、高度の能力のある師範でも、教わったことがなければ、「恩師」にはなりません。医師も、患者さんと長くおつき合いしているうちに、信頼が蓄積され、「主治医」という関係を獲得し、身体各部に関する相談や、家族の相談を受けるような関係に到達します。この関係性こそが「主治医」の本質です。
 私は、「主治医」は、「患者さんが選ぶもの」と考えています。
この「患者さんが選ぶ主治医」は、医師が自らを「総合医」あるいは「家庭医」と自覚することはニュアンスを異にします。例えば、医師が「総合診療」を勉強し、その領域を深く習得したとしても、それは、「医師の関心」でこの領域を選んだに過ぎないわけです。一方、私どもの考える「主治医」とは、患者さんが選ぶ人物のことです。そして、医師の側としては、自分が習得した「医療の領域」ではなく、自分を選んでくれた、自分にかかってくださった患者さんという「人間」そのものに関心を持つということと考えています。主治医の精神性は、特定領域に関心を払うという意識ではなく、患者そのものに関心を持つため、患者のニーズに直接的に呼応する特性を持つと考えています。
 また、医師には、自分の知識・技能・態度を陶冶するのみならず、患者や地域のニーズを感受し、それに応えるために自らを変容させていく能力が求められます。すなわち、医師は自分の関心によって能力を高めるのみならず、患者や地域の関心ごとに目を向けることによって能力を高めていく必要があると思います。

主治医を技術の側面からみたものとしての「総合医」(家庭医)

 患者さんとおつき合いすると、生活習慣病のような長期のかかわりを要する疾患を治療したり、その経過中で感染症などの治療を行ったり、そして、ときには、がんを発見することもあります。また、身体の各部の相談のみならず、ご家族のことや介護問題等についても、相談を受けます。
 さて「総合医」(家庭医)とは、一般的な(頻度の高い)病気に一定の知識があって、おおよそ、7、8割の方の医療問題に自分で対応しますが、のみならず、いろいろな専門医に相談したり、紹介したりして、問題解決を図ろうとします。つまり「総合医」(家庭医)とは、「主治医を技術的側面」から見たものだと私どもは考えています。本プログラムでは、主治医を務めるために、「総合医の能力」つまり、総合的な医療技術の習得を目指しますが、あくまで本質は「主治医」です。 

関係性のなかで問題を解決すること

 初期診療の中で、がんを見つけることも珍しくありません。がんを見つけたとき、「出会ったばかりの患者さん」と、「主治医として自分に長年かかっている患者さん」では、異なる対応をします。これは差別とかいう問題ではなく、「関係性の強さ」が違うことによる対応の違いです。今、目の前にいる患者さんと自分との「関係性の強さ」を自覚することは、医療において重要だと考えます。
 例えば、1、2回お会いしただけの診療歴の浅い患者さんに「胃がん」を見つけた場合、私は、「信頼できる外科医につないで、適切な治療が行われる」ことに意識を注ぎます。自分のところにつなぎとめるのではなく、外科医がしっかり関われるように意識します。
 ところが、10年、20年と私がかかわった患者さんに胃がんを見つけ、手術が必要となれば、外科の先生にそのままお願いするのではなくて、やはり、「自分で」説明をしたいと思います。患者さん側も、私を主治医として考えている場合、まず、私に病状について相談したいかもしれません。また、「私が説明すれば、手術を決意してくれるかもしれない」と思います。もちろん、細かい手術内容については、子細な説明はできませんが、「手術の概要を話し、それが推奨する治療法である」という話は私でもできます。また、外科医に併診で診てもらっている間も、外科医に治療内容を聞きながら、ともに関心を持ち、手術後は、患者さんがかかってくださるなら、私のところで診療を続けたいと思います。

在宅医療とはいかなるものか

 また、外来で患者さんを10年、20年と診ていると、その患者さんのご家族から「先生、うちのおばあちゃんが、だんだん足腰が立たなくなって、先生のところに診察に来るのが大変になりましたが、他の先生ではいやだというので、先生にどうしても診てもらいたい。月に1回でもいいから自宅に往診してもらえませんか。」と言われる、という経験は多くの医師がすると思います。つまり、「外来を真剣にやると、どうしても在宅医療をせざるを得なくなる」と思います。
 一方、在宅医療を真剣に行っていると、在宅医療の患者さんのご家族やご遺族が外来に訪れて診療を求めてくださることは、珍しくありません。つまり、在宅医療をやっていると、芋ずる式に、外来患者さんが発生してくるわけです。この意味で、在宅医療と外来医療は相補性があります。そして、私どもは、「どこでも、患者さんが望むところ」で診る様にしたいと考えています。例えば、入院されたら、病院にその患者さんを診に行ったり、また、外来に来られるうちは外来で診て、足腰が立たなくなれば在宅医療で診ていく、というように、患者さんの病状や活動性に応じて、様々なフィールドで患者さんに関わるような医療を実施したいと考えています。
 在宅医療に関して一言申し上げますと、よく、「看取り可能な在宅医療の推進」といわれますが、この言葉には抵抗感があります。「看取り先にありき」ではなく、「医療の信頼関係が先にある」と思います。主治医を長く務めた結果、その信頼蓄積を基盤として、「最期の脈を先生に取ってもらいたい」というご依頼を頂ける、と考えています。

病院の在宅医療と診療所の在宅医療

 次に、「在宅医療と主治医性」の話をします。「在宅医療は診療所でやるのがいい」と言う先生がおられます。診療所というのはスタッフが数人とか10人程度ですので、患者さん、ご家族が電話を掛けられても、自分が顔見知りの人が電話に出るわけです。また、具合が悪いときに臨時で往診に来る医師、看護師もだいたい顔見知りで、患者さんからは、非常に安心感があります。この観点から、「診療所が在宅医療を担うべき」との考えがあります。
 一方、病院で在宅医療にこだわっている有名なところに、佐久総合病院があります。この病院では、在宅医療で診る先生が、具合が悪くなって患者さんが入院しても、病棟医と連携して治療に参加します。また、退院後もその先生が診るシステムです。継続性の安心感があり、患者さんから見ると、非常に安心感のある医療だと思います。
つまり、「診療所の在宅医療が良い」という医師は、診療所というインフラをうまく使って、「主治医性」をしっかり実践している医師だと思います。「病院が良い」という意見をいう医師は、病院というインフラを使って、「主治医性」をしっかり実践している医師です。いずれにしても、「主治医性の実現」が本質であり、それが良好に発揮されるとき、患者さんにとって安心できる医療が提供されると考えています。

意思決定支援とは何か

 私はテレビで医師が主役のような番組があまり好きではありません。というのは、医師は、しょせんは患者さんの人生にとって、脇役以下の存在だからです。そもそも、医師という職業は対人援助職です。つまり、「人助け」が仕事です。どう考えても、「主役」は患者さんです。医師は脇役ですらありません。脇役はご家族や友人たちであろうと思います。医師は舞台裏、あるいは、舞台下スタッフです。その意味では、人生という舞台において、医師は舞台裏で、「主役が人生を行ききれる」ように支援すると考えています。
 私は、患者さんの人生の様々な局面において、重い病気や重い疾患を得た時、その意思決定を支援することが主治医の重要な仕事だと考えています。その意思決定支援とは、患者との信頼蓄積を基盤に行われるものです。
例えば、治癒にいたる強力な治療を行うかどうか、療養場所をどこにするとか、がんに対する治療から緩和ケアへの移行、とか、経管栄養などの延命治療を行うかどうか、とかです。ひとつひとつは、患者や家族にとってせめぎあいと重い心理的負担を伴う事柄に関する対話です。実は、そのひとが本当にのぞんでいること、それを本人や家族すら認識していないこともあるのですが、信頼蓄積を基盤とし、くり返しの対話を通して、患者さんや家族が、本当の望みを自分でもわかり、それを実現することの道筋がみえるようになり、それをたどることができる、その手助けすることが意思決定支援です。これは主治医の重要な仕事だと私は考えています。
いま、医療や介護は、「決める」というドグマに支配されています。「その場の話し合いで方針をきめることができる」という幻想に支配されています。もちろん、緊急のときに決断しなくてはならないことはありますが、人生の本質的な事柄にかかわることに関して、実は、多くの場合、本人や家族は決めることは簡単ではないのです。医師が長期経過を予測していれば、決められるまでの時間のゆとりがどれだけあるかも医師は知っているはずです。患者や家族に本来の望みの輪郭が見えて決められる時がくるのを待ち、熟したときを見計らい、道筋が本人や家族に理解できたことを、対話を通して直観し、支援する能力が主治医に期待されていると思います。

以上、主治医とは何かについて述べてきました。このような考え方で、私たちはこの研修プログラムを運営し、主治医を目指す若い先生方と一緒に勉強したいと思います。皆様のご参加をお待ちしています。