全国大会

全国大会

全国大会

大会軌跡

総会講演Ⅰ

市場原理と医療~アメリカの医療の光と影
講師     李  啓充
 私に与えられました課題は今日本でも話題になっています「市場原理と医療について述べよ」ということであります。アメリカは市場原理を追求して医療を展開しているわけですが、そのアメリカの実態を日本の医療制度改革の動きとの関連で述べるというのが本日の私の任務であります。

 時間が限られていますので、まず初めに私の話の結論から申し述べたいと思います。ここに医療倫理の4原則ということを掲げさせていただきました。私ども医師が患者さんを診るとき、1人1人の患者さんについて、常にこの4原則に則った医療をしなければなりません。この医療倫理の4原則とは以下の通りです。

 第1が患者の自立性の尊重、Respect for Autonomyと申しまして、患者さんの自己決定権を尊重するということが第1原則であります。
第2原則、難しい言葉で、Nonmaleficenceと書いてありますけれども、患者に害をなさないということであります。医療過誤などを起こして患者に害をなしてはならない。
 3番目の原則がベネフィセンスということで、患者の利益、医学上の最善利益を追求する。
 4番目がジャスティス、正義公正ということでありますが、例えば極端な例を挙げますと、ナチスが精神発達障害者や身体障害者に対して断種手術を断行した、そういったような正義にもとるような行為をしてはいけないということで、この4原則が医療倫理の4原則。医療の一番大切なルールであるわけです。

 日本の医療制度改革の動きを見ていて、私が一番残念に思いますのは、医療のコンセンサス、パブリックポリシーということをつくるときに、この医療の4つの基本的なルールがどのように医療の現場に生かされるのか、どのようにしたら守られるのかということを追求するのが本来一番大切なことであろうと思うのですが、どうも日本の医療制度改革の動きというのは銭勘定の話しか出てこないので、非常に残念に思っております。

 1番目の患者の自立性の尊重ということに関してはこれは患者の権利を法律で保障するということをしなければならない。2番目、3番目は、1つにまとめますと、医療の質の向上ということになるかと思いますけれども、医療の質の向上をするための直接の施策を実施しなければならない。この中にもちろん医療過誤対策も含まれますが、診療報酬の支払い方式を変えると、医療の質が自動的によくなるということをおっしゃる方がいらっしゃいます。あるいは市場原理、競争原理を導入すると病院間に競争が起こって、医療の質がよくなるということをおっしゃる方がいらっしゃるのですけれど、そういったことは詭弁にしかすぎません。そのことはまた話の中で述べさせていただきますが、医療の質をよくしようと思いましたら、やはり医療の質をよくするために直接の施策を実施しなければなりません。どういったことをしなければならないかということはまた話の中で述べさせていただきます。

 最後にこのジャスティスということで、特に私が強調したいのは、医療資源の公正な配分ということを忘れてしまってはいけないということです。医療を市場原理に委ねることの危険はこの公正の配分を破壊することにあります。市場原理で物事を運営しますと、どうしても強いものが勝ちます。金力をたくさん所持している人たちが勝つということが起こり得ますので、市場原理に医療を委ねますと、お金のない人が必要な医療からはじき飛ばされてしまうという、困ったことが起こります。そういったことはしてはいけないと、初めに結論を述べさせていただきます。

 さらに日本の場合、自己負担率の上昇とか、あるいは診療報酬のマイナス改訂とか、コストをどうやって削減するかということで、政策が論議されていますけれども、それは実は知恵のない議論であって、同じお金を使うのでも、どうやって生きた使い方をするか、コスト効率という概念があるのですけれども、欧米の医療政策を担当している方々はどうやってコスト効率を改善するかということを政策の目玉にしているわけですが、日本の場合どうもコストをどう減らすかばかりを議論して、コスト効率という考えがなかなか出てきていないということを残念に思います。

第1部 市場原理と医療
 今日の話、1部と2部に分けさせていただきます。第1部として、市場原理と医療ということで、医療を市場原理に委ねているアメリカがどんなことになっているのか、どんな大変なことになっているのかということを話をさせていただきます。日本で非常に嘆かわしいことに、株式会社に病院経営を認めさせようとか、あるいは混合診療を解禁しようとか、そういった議論が市場原理導入との関連でされているわけですが、私自身は株式会社とか混合診療とか、そういったことが日本の医療の一番大きな問題であるとは思っていません。この株式会社による病院経営がどれだけ危険なものであるのか、あるいは混合診療を解禁することがどれだけ保険診療、あるいは保険制度そのものの根底を揺るがすことになるのかということについて、1部で述べさせていただきます。
 第2部で、日本の医療の問題とは何なのか。医療制度改革の論議の中で議論されていない多くの問題について、私の考えを披露させていただきたいと思います。

 第1部ということで、医療における市場原理の問題ですが、日本でも アメリカでも、医療に対して社会から2つの大きな圧力がかかっております。そのことは共通であります。
◇ 2つの圧力
 第1の圧力はお金を支払う側からの圧力で、医療にたくさんお金を社会として使っている。医療の側はもっとむだを排除して、お金がかからないようにしてほしい。そのためには市場原理、競争原理を入れるのがいいのではないかということで圧力がかかっております。
 2番目の圧力は患者、サービスの受け手からの圧力で、例えば患者の権利意識が向上しております。あるいは医療過誤に対する厳しい目が社会から向けられています。医療に対する不信という形で非常に厳しい目が向けられるようになっております。
 1つ目の圧力はお金の効率に対する圧力でありまして、2つ目の圧力は医療の質に対する、インフォームドコンセントの実施も含めまして、医療の質の改善が問われているわけであります。
 アメリカでは医療を市場原理に委ねることで、この効率と質を改善しようとしてきたわけですが、日本でも、はっきり言って、おっちょこちょいな方々がアメリカでやっていることを日本でも真似しようということを声高に議論する動きがあります。
 アメリカの話を紹介いたしますので、日本とアメリカはこういうところが違うのだということを簡単にまとめました。
◇ 日米の医療制度の差
 まず日本の場合、医療保険というのは建前として皆保険制であります。保険証1枚持っていますと、どのような医療機関に行ってもちゃんと診療を受けられるという制度になっています。ところがアメリカの場合は、医療保険というのは原則として市場原理で運営されていまして、国民は民間の医療保険を自分で購入するのが建前であります。自分で、あるいは勤めている企業、勤務先を通じて医療保険を購入するということが建前であります。
 ところが、市場原理からこぼれ落ちてしまった人がたくさんいるわけで、お金がない人は医療保険を購入することができないということで、国民の7人に1人が無保険という状態であります。
 さらに医療サービス価格の設定ですが、日本の場合は原則として点数制ということで、どの病院に行ってもほぼ同一価格でサービスが提供されます。けれどもアメリカの場合は保険の種類で価格がすべて違います。一番困ったことに、保険を持っていない人は定価でサービス価格を請求されます。保険に入っている人は保険会社と病院の間で割引価格が設定されますので、お金のある人ほどサービス価格が安くなります。つまり、お金がない人ほど割高の価格でサービスにアクセスさせられるという矛盾が生じます。これを負担の逆進性といいますが、条件の悪い人、お金のない人ほど高い請求額をふっかけられるということが起こっています。
 医師、病院への支払い方法ですが、日本の場合、一部定額制がありますが原則として出来高払いです。アメリカの場合は保険の種類が変わると支払いの方法もすべて変わります。出来高払いであったり、定額の支払いであったり、人頭割(患者1人当たり1年いくら)という払い方であったり、出来高払いに上限制があったりということで、非常にややこしいことになっています。
 アメリカで診療オフィスを開きますと、1つのオフィスで平均して6人事務員を雇わなければ診療報酬の請求事務ができないというほど複雑な事態になっているわけです。そういったことも市場原理で、あるいは自由経済で医療を運営することのコストになっているわけです。すべて医療費に跳ね返ってまいります。

 アメリカの医療保険制度、先ほども申しましたけれど、原則として民間の会社が販売している医療保険を商品として購入します。これは市場原理で運営されています。国民の大多数はこの医療保険に多くは勤務先の企業を通じて加入いたします。
 市場原理で医療保険を運営いたしますと、どうしても病気がちな人、お金がない人というのはこの市場原理の中でこぼれ落ちてしまいます。端的な例が高齢者。高齢者というのはどうしても有病率が高くなりますので、高齢者だけを対象に民間で医療保険を設定しますと、保険料がべらぼうに高くなります。アメリカでは、税金で運営しているメディケアという高齢者用の医療保険を、連邦政府が運営しているわけですが、これができたのが1965年です。この保険ができる前は高齢者の2人に1人が無保険という悲惨な状況だったのです。高齢者が例えば保険に入っていない方が脳卒中を起こすと、家も土地も全部売り払わないと医療費が払えないというようなことが日常茶飯に起こっていたわけです。これではいけないということで、高齢者用の医療保険を税金で運営するのだということで、40年近く前にアメリカでは高齢者用の医療保険ができたわけですが、これは弱者が市場原理の中ではこぼれ落ちてしまうということで、救済措置としてつくられたわけです。
 そのとき同時に、お金がない人、低所得者用にも公的な医療保険を用意しましょうということで、これをメディケイトと申しますけれども、貧乏な方々のための医療保険というものも救済措置として1965年につくられたわけであります。

 市場原理を原則として医療を運営すると、どうしても金力のない人、病気がちの人が落ちこぼれてしまいます。そこで、社会として(政府のプログラムとして一番大きいわけですが)、メディケア・メディケイトという、巨大な救済制度を用意しました。にもかかわらず、この救済制度からもこぼれ落ちて、無保険になる人が4000万人近くいる、国民の7人に1人が無保険になるということで、市場原理で医療保険を運営しますと、どうしても弱者がこぼれ落ちるという現実になっています。

 日本の医療制度改革の動きの中で目立つ議論は、まず第1番にコスト削減ということを言います。市場原理、競争原理を導入すればコストも下がるし、医療施設あるいは医療保険が競争するので質もよくなる、ということをおっしゃるわけですが、現実には市場原理を導入すると、どうしても弱者がこぼれ落ちてしまいます。医療へのアクセスを閉ざされてしまう人が出てくるというのが現実であります。
◇ マネージドケアとは誰のための効率化か?
 3番目に保険者機能の強化ということも声高に言われています。保険者機能の強化が言われるのも、医療不信が強いことのあらわれであるわけなのですが、患者、消費者に代わって保険者が医療の内容や質をチェックしましょうということが言われています。
 こういったことを3つ全部合わせて考えますと、どうもアメリカ型の市場原理、民間の保険会社が主体となって運営している医療制度を目指しているのではないかなと聞こえてなりません。
 ではアメリカで今行われている医療保険制度、マネージドケアと言われるわけですが、アメリカの医療保険制度がどういった形で運営されているのかについて紹介したいと思います。
 マネージドケア、管理医療ですが、定義は医療サービスへのアクセスや内容を保険会社が管理、制限することで限られた財源のもとで「効率よい」医療サービスの提供を目指します。保険会社が医療のアクセスや内容を管理するのだという制度であります。
 患者さんというのは病気のこととか、医療のこととかよくわからないから、患者さんに代わって保険会社がチェックして、「適切な」医療が行われるようにしましょうということを目的とします。医療の効率と質が問われているということを初めに申しましたけれども、「効率よい」、「適切な」というキーワードがここで使われています。

 ただ問題は、患者さんにとって、あるいは社会にとって、効率良く適切な医療が行われたのではなくて、マネージドケアは、保険会社にとって効率がよく、保険会社にとって適切な医療が行われたということであります。
◇ HMOの仕組み
 マネージドケアの一番典型的な形にHMOという保険の仕組みがありますので、それを説明します。HMOというのはヘルス・メインテナンス・オーガニゼイション(健康維持機構)の略ですが、保険会社が医師や病院のネットワークをつくるのが特徴です。HMOに加入した患者はそのネットワークの中で医療を受ける限り保険が適用され、医療費がカバーされます。しかし、このネットワークの外にひとたび出ますと、全く保険がきかない、全部自己負担になるという仕組みであります。
 なぜこういった仕組みをつくるかというと、保険会社、HMOは、まず医師、病院のネットワークをつくりますが、このときに、うちの保険会社の患者が診たかったら、うちが設定する価格をのみなさいということで、診療報酬の強力な値引きを迫ります。6割、7割の値引きはあたりまえという形で、医師や病院に値引きをのませた上でネットワークをつくります。さらに高額な医療が安易に実施されないように、医療内容も事前に、利用審査といいますか、医師や病院が保険会社にお伺いを立てる形で許可を得ないと、保険がカバーしてくれないという形で、医師や病院を管理するわけであります。

 HMOは低価格の医療保険を設定するために、供給者に対して値引きを迫るわけですが、もう1つ保険会社がすることは、医療保険に病人を加入させないということを目指します。低価格の医療保険を設定した上で保険会社が儲ける一番手っ取り早い方法、病人を保険に加入させないことなのです。元気な人ばかり医療保険に集める手口をサクランボ摘みと申しますが、サクランボ摘みの一番簡単な手段は大企業と優先して保険契約を結ぶことです。アメリカは終身雇用制ではありませんので、大企業で働いている人には病気がちの人はあまりいない。元気な人ばかり集まっている大企業を優先して契約を結ぶことで低価格の医療保険を設定することが可能となるのであります。
 市場原理、競争原理、選択の自由ということが言われますが、そういったことが働くのは、この雇用主と保険会社との間であります。患者レベルになりますと、自分が働いている企業でどういった保険と契約しているかということで、その保険に入るか入らないかの選択しかありません。企業が提供する保険に入るしか医療保険を得る手だてはありませんので、入らざるを得ないのです。またネットワークの中でしか動けませんので受療行動にいろいろな制約がかかります。まず主治医をネットワークの中から選びます。救急外来に行く必要が生じたり、入院が必要になったり、専門医の受診が必要になったりしましても、主治医の許可がないと、保険が適用されません。
 問題は、企業は、契約が切れるたびに保険会社とまた交渉するわけですが、そのときに契約先の保険会社が変わりますと、ネットワークがガラリと変わりますので、そういった場合、患者はまた主治医探しから始めないといけないのです。それまで付き合いのあった医者から離れて、また別の医者を探さないといけないという困ったことが日常茶飯に起こります。
 主治医は、保険会社が認めた医療サービスしか提供できませんので、患者の利益を代表するのではなく、保険会社の門番として働くことが期待されます。患者の受療行動を制限する役割を期待されます。これがHMOの仕組みですが、元気な人「低価格の医療保険に入ることができた」と、受診さえしなければ何の不自由も感じないのですが、病気がちの人ほど不自由で、不便な制度になっているわけです。それがそもそも制度の眼目でありまして、病気の人が不便を感じるように制度がつくってあるわけです。病気の人が保険に加入すると儲からなくなるので、病気の人が加入しにくいように制度がつくってあるのです。

 マネージドケアというのが強くなりましたのは、90年代に入ってからですが、70年代以降、アメリカの医療費は、毎年10%を超える勢いで伸び続けていました。マネージドケアが入って、医療費の伸びに急激なブレーキがかかり、これはすばらしいということで、日本でもマネージドケア的なことをしよう、市場原理、競争原理を入れよう、あるいは保険者機能を強化しようということを言われる方がたくさんふえたわけであります。
◇ 利用審査の実例
マネージドケアの利用審査の実例を示しますけれども、これはあるコンサルタント会社がつくった標準入院期間の数字です。病名と入院期間を示しましたが、患者に入院が必要になったときに、主治医が保険会社に電話をしまして、これこれこういう病気で入院いたします、事前に許可をいただきたいということを保険会社にお伺いを立てます。例えば乳がんの手術で入院します。保険会社はこのガイドラインに従いまして、1日だけの入院を許可しましょうということを言うわけです。脳卒中ですと、1日だけの入院が許可されます。状態が安定したらリハビリの病院に移してくださいよということを言うわけです。冠動脈バイパス手術4日、心筋梗塞4日と、日本の常識から言うと、まぁアメリカの常識でもかなり厳しいですけれども、考えられないような日にちしか許可をくれないわけであります。
 実際に患者が、例えば乳がんの手術で1日で出て行かなければならないかというと、そこまで冷たくはないので、許可された入院よりも期間を超えて入院が必要になった場合は、主治医が、あるいは病院の看護師が保険会社に電話をしまして、これこれこういう事情でまだ入院を続けていなければなりませんということで、新たに保険会社の許可をお願いするという形をとるわけです。許可が取れない場合は以後の入院は全額自己負担ということになります。
 こういったことをしますと、例えば乳がんの患者は早晩2日ぐらいで出て行くわけですが、手術の後、いろいろな浸出液が出ますので、その廃液を除去するためにドレーンという管が入るのが普通なのですが、そのドレーンをつけたまま自宅に帰ります。傷口を覆っているガーゼの汚れとかをモニターするのは患者と家族であります。液量を記録してつけるのも患者と家族であります。ホームケアということで、看護師が1日に1回ないし2回自宅に来ますけれども、24時間のケアということは受けられませんので、患者本人と家族がその労力を負担する形になります。
 コストシフトという言葉がありますけれども、目に見えない、統計の数字にはあらわれない部分で、早期の退院を患者に強制するということの結果というのは、労力負担という形で、患者家族にコストがシフトされていくわけです。統計の数字にはあらわれない形でコストシフトが行われるわけで、グラフだけを見て、おっちょちょいに、コストが下がるマネージドケアはすばらしいと言うのはいかがなものかと思います。

 実際アメリカの国民もこの不自由なHMO型の医療というものには非常に怒りを強めていまして、これは99年の「ニューズウィーク」の表紙ですけれども、HMO地獄ということで、患者が苦悶にあえいでいる姿を表紙にしているぐらいに、国民の怒りが高まったわけであります。
 日本の医療改革の動きの中で、市場原理、競争原理を導入して競争させることで質をよくさせるということを言う方がいらっしゃいますが、アメリカの現実は質の競争よりも価格の競争が優先されて、病気の人が医療保険から排除される結果を招いたということであります。
◇ 医療費コストの抑制効果はない
 保険者機能の強化をすることで、消費者、患者の代わりに保険者が質をチェックするということを主張される方がいますが、アメリカの現実は質の改善よりもコスト削減を優先させたために、アクセスと質が障害されました。乳がんの人を管が入ったまま家に帰らされるようなことがあたりまえになったわけであります。
初めに医師や病院に強力な値引きをのませたということを言いましたけれども、結局マネージドケアの値引きがマネージドケアの医療コスト抑制の主体だったということが今言われております。実際に値引きは1回限りの効果しかありませんでした。この黒い折れ線は保険料保険医療費を88年から2002年まで見ますと、賃金、物価の上昇率がほぼ横ばいであるのに対して、マネージドケアが入ってきた直後、保険料も医療費も下がりました。けれども、96年を境に、逆に保険料も医療費も上がってきていまして、マネージドケアの手法そのものには医療コスト抑制の効果がないということが数字ではっきりしてきました。96年まで、医師、病院に強力な値引きを迫った効果でいっとき落ちたけれども、以後、医療コストの抑制効果はないということが数字で明らかになっています。
◇ 弱者の排除/負担の逆進性
 ここで市場原理のもとでの医療の問題点というものをまとめますが、まず、弱者の排除が起こります。サクランボ摘みということで、元気な人だけ集めて医療保険をつくりますので、有病者の保険加入が困難になります。マネージドケアが普及したせいで、無保険者がますますふえたということが起こりました。また、先ほども申しましたけれども、負担の逆進性ということが起こります。大企業などを通じて、大口の契約を結んでいる場合は割引の価格が設定されますけれども、保険に個人加入したり、あるいは無保険であったりすると、定価で医療サービスを購入しないといけないということで、条件の悪い人ほど高いお金を払わされるという困った状況が出てまいります。
◇ 悪貨は良貨を駆逐する
 バンパイヤー効果というのがありますが、バンパイヤーというのは吸血鬼で、吸血鬼に咬まれた人は皆吸血鬼になることをいいます。例えばある市場に悪質な保険会社が進出する。質が悪いけれども、価格が安いということで、顧客をたくさん集める。そうしますと、質がいいサービスを提供している保険会社は生き残れなくなる、客を奪われてしまう。どうやって生き残るか、質が悪くても価格が安いという商売をまねしないと、生き残れない。地域に吸血鬼が入ってくると、みんな咬まれて吸血鬼になってしまうということで、バンパイヤー効果ということが問題になります。これは病院でも一緒で、真っ正直に地域サービスを考えて、採算のとれない部門を後生大事に続けていますと、質を犠牲にして価格を下げた病院がどんどん収益を上げていって、自分の病院だけ苦しくなるというようなことが起こり得ます。
◇ コストが下がる保証がない
 4番目、実は市場原理に任せたら価格が下がるというのは大嘘でありまして、価格がどっちに振れるかは売り手市場になるか買い手市場になるかで決まるわけです。例えばアメリカの医療費の中で一番高いのは今外来処方薬、薬剤費ですが、アメリカの薬剤費は世界で一番高い。自由経済/市場経済の名の下で、製薬会社の言い値で値段がつけられているからです。需要の高い新薬など、アメリカではべらぼうに高い値段がつきますので、製薬費が世界一高いという現実が起こっています。  さらに市場原理のもとで、価格の競争が優先される結果、アクセスや質が二の次になってしまいます。
◇ 大病院チェーンの実態
 日本における医療改革の動きの中で、株式会社に病院経営を任せれば、経営努力をしてコストも下がるし、患者の選択の幅も広がる、したがって医療の質もよくなるという主張がありますが、株式会社の病院を大々的に運営している国は世界でアメリカしかありません。アメリカがどうなっているかということを紹介いたします。
 営利の病院の経営戦略ですが、営利ですから、慈善事業ではいたしません。どうやって病院業で儲けるかということですが、戦略の第一はまず市場の寡占化ということを目指します。特に収益性の高い市場に集中して進出して、商売敵になるような病院がいないような状況をつくり上げる。言い値で商売ができる状況をつくるということを優先いたします。次に、コストを抑えるための合理化ということで、人件費を削ります。例えばベテラン看護婦にはいろいろ理由をつけてお引き取り願う。で、資格のない看護助手をたくさん雇って、病棟を運営する。あるいは採算性の悪い部門はサッサと切り捨ててしまうということをいたします。
 株式会社病院の方が効率がいいのは確かで、大病院チェーンは医療機器の仕入れとか、安い価格で仕入れるのは事実です。けれども、言い値で商売することを目指しますので、結果として患者に回す請求書の額は営利病院の方が高いということがデータで出ております。慈善事業をやっているわけではありません、儲けることを考えてやるわけですから。さらにアメリカの大病院チェーンには例外なく組織的な診療報酬不正請求、大掛かりな不正請求の前歴があります。
 営利病院の方が非営利病院よりも値段は高いし、質も悪いという研究結果がほとんどであります。日本で株式会社による病院経営を認めた場合に、アメリカの巨大な病院チェーンが出てこないという保証はありません。実際に在日の米国商工会が医療における規制緩和ということを日本政府に要求しておりますので、アメリカの大病院チェーンが日本に出てくる事態も想定しなければなりません。

 つい最近起こりました事件でまたアメリカの大病院チェーンがどんなことをしているかということを紹介したいと思います。テネット社という大病院チェーンがあるのですが、全米で113の病院、2万8000床近くベッドを抱えています。2002年の売り上げが37億ドルですから、4000億円。これが前年比13%増。利益率が10%近くありまして、3億4000万ドル、前年比120%増という、超優良企業だったわけであります。これが株価の推移ですが、2000年10月からちょうど1年前の2002年10月まで、26ドルだったものが52ドルまで、右肩上がりでずうっと上がり続けて、2年の間に2倍になったわけであります。超優良企業ということでウォールストリートの推奨銘柄と、もてはやされたわけであります。この売り上げとか利益の数字の巨大さにまず注目していただきたいのですけれども、もしこういった病院チェーンが日本に進出してきたらどうなるのかということを真剣に考える必要があります。
 この倍々ゲームを続けてきたテネット社ですが、株価が去年の今ごろ暴落いたしました。なぜ暴落したかといいますと、まず1番目の事件が10月の末に起こったのですが、この事件について説明します。アメリカの高齢者の医療保険では、入院診療報酬を定額支払いする(病名が決まると診療報酬額が決まる)のですが、その制度に救済措置があります。重症の患者ばかり診ていって定額だったら、病院が赤字になってしまうので、重症の患者については定額ではなくて、出来高に準じた払い方をいたしましょうという救済措置があるのです。その救済措置を利用する患者の割合がテネット社が24%、これに対して全米のほかの病院は4.5%、4.5倍も違ったのです。重症患者の比率が4.5倍も違うということは、常識では考えられないわけで、何か組織的に大掛かりな不正請求をしている節があると、ある証券分析会社が発表しまして、テネット株は売りだということを警報を出したわけです。そのとたんに株価が下がりました。
 さらに株価が下がる事件があったのですが、それが2番目の事件で、10月末、FBIがカリフォルニアにあるテネット社の病院、レディング病院というところに強制捜査に入りました。ここのレディング病院というのは心臓外科の収益が著しく高いということで、テネット社が株主に対する報告書にレディング病院は心臓外科が大儲けしているので、集中的に投資しているのだということを誇らしげにうたった病院なのですが、実はここで全く健康な人たちに心臓外科の手術、冠動脈バイパイ手術をしていたということが明るみに出まして、FBIの強制捜査が入ったわけです。ある牧師さんが家族が心臓病で死んだということで、不安になって心臓の検査を受けた。その結果「精密検査が必要です」と言われて、カテーテル検査を受けますと、その最中に「あなたはすぐに手術をしないと死んでしまいますよ」と言われた。ところがこのレディング病院、大はやりですから、なかなか手術、スケジュールが早くに入りそうにない、手術が遅れて死ぬのは嫌だということで、知り合いを頼って、ラスベガスの病院で手術を受けようと思ってデータを持っていきますと、「あなたはどこも悪くありませんよ」と言われた。で、頭にきたということで、FBIにご注進に及んで、このスキャンダルが噴き出したわけです。
 株式会社病院というのは、株価を維持するために、常に利益を上げていないとならない。赤字になるとすぐに株価に反映しますので、そういった圧力が非常に強い。そういった常に収益を上げていなければならないという圧力のもとで、こういった全く必要のない手術を健康な人にしてしまうといったような商売もしてしまうという、非常に危険な存在であるわけです。
◇ 混合診療について
 次に混合診療の解禁が今言われていますが、混合診療の問題ということで、症例を1例ご紹介しながら考えたいと思います。
 症例は46歳の男性でありまして、脳動脈瘤の破裂でクリッピング手術を受けました。脳動脈瘤の破裂で一番こわいのは、手術で命が助かっても、その後、脳血管攣縮という合併症が起きまして、そのために亡くなったり重い後遺症を残したりすることが出るということであります。脳血管攣縮のせいで、手術を受けた人10人のうち3人に後遺症や死亡が起こると言われているわけです。
 ところが欧米ではニモジピンという薬が、89年に認可されていまして、この薬を手術直後から3週間飲ませると、死亡、後遺症の発生率が3割から2割に減るということがわかっています。野球のたとえで恐縮ですけれども、ピンチの場面で3割バッターを相手にするのと、2割バッターを相手にするのは、大きく違います。この薬を飲ませたいと、家族はこのニモジピンという薬を使いたいと希望したわけです。アメリカ、ヨーロッパでは教科書に書かれているくらい標準的な治療で、14年前から使われています。
 ところがこの薬が日本では認可されていないのであります。もし保険で認可されていない薬を使おうとしますと、これは混合診療の禁止、保険外の診療と保険診療と組み合わせることができない、というルールに触れます。ですから家族はアメリカからニモジピンを取り寄せたのですが、結局使わずに、じっと様子を見ていたのですが、危惧が現実になりまして、この症例は血管攣縮による重い後遺症が残りました。実はこの奨励は私の弟で、去年起こった話なのですが、私は混合診療を認めないのはけしからんということを言いたいのではありません。私が一番けしからんと思ったのは、アメリカで89年、14年前に認可されている薬がなぜ日本で認可されていないのか、有効性と安全性とが確立されている治療がなぜ14年間も保険診療として認められていないのかということに一番腹が立ったわけであります。
 混合診療がなぜいけないのかと言いますと、まず例えば混合診療が認められているとして、このニモジピンという薬が保険外ということで、1錠1万円で売られたとする。そうすると、3週間、1日6錠から8錠飲まないといけませんので、実際はカプセルですけれども、そうしますと何百万円というお金がかかる。お金のある人だけがニモジピンという薬を使うことができるということが起こり得るわけです。お金のない人はあきらめろということが起こり得るわけです。ですから混合診療を認めるということは、財力の格差によって、受けられる医療サービスに差が出るということを容認することにほかなりません。これは医療倫理の4原則からいいますと、ジャスティス、正義公正ということに大きくもとる医療を認めてしまうことになります。
 さらに、特に先端医療を混合診療でやりたいということをおっしゃる方が多いのですが、実は先端医療というもののほとんどは安全性と有効性が確立されたものではありません。遺伝子治療がマスコミでよく喧伝されていますけれども、世界中でいろんな医療施設が遺伝子治療をやっていますけれども、安全性と有効性が確立された遺伝子治療は1つもありません。そういったものをどこで境界線を引くのか。例えば日本で話題になりました免疫療法という得体の知れないがんの治療法、そういった似非医療が横行する危険があるわけです。保険診療で認めているということは安全性と有効性について一応お墨付きを与えているという機能があるわけですが、混合診療を認めた場合に、境界線が著しくあいまいになって、似非医療が横行する危険があります。
 さらに混合診療を認めますと、そういった似非医療を目的とした入院に対しても保険適用がある病名をつけることでその入院費をカバーすることができるということが可能になります。似非医療のために保険医療の本体、貴重な保険の財源がアビューズされるという危険がありますので、混合診療というものを認めるということは私は不合理なことだらけだと思います。
◇ 目指すべき事
 目指すべきことは、混合診療を認めるのではなくて、安全性と有効性が確立されている治療についてはこれはすべて保険診療に含めるということを目指すべきであります。新しい治療とか、新しい薬剤とか、認可が遅れてがちなものについては、それを速やかに認可させて、保険診療に含めるような仕組みを考えるべきであって、混合診療を性急に認めるということに対して私は反対であります。  因みになぜニモジピンが認可されていないのか、事情を調べましたが、非常になげかわしいことに、ニモジピンというのはアメリカでは脳血管攣縮の予防薬という、非常に限られた適用で認められている薬剤でありますが、日本では製薬会社が何を血迷ったのか、脳代謝改善薬ということで、ボケの治療用として治験をして審査を申請した。たまたまその時期がアバン、ホパテといういわゆる脳代謝改善薬、効きもしない脳代謝改善薬の有効性の見直しの時期と重なってしまったということで、見事に申請が却下されてしまったという事情であります。どこのだれが欲に走ったのかは知りませんが、舌切り雀のいじわるばあさんが大きなつづらを欲しがって、結局化け物に追われたのと似たようなことがこのニモジピンの認可申請を巡ってもあったわけで、非常になげかわしい事態であります。

ページトップ

第2部 日本の医療の問題とは何なのか
 話を第2部に移しまして、ではどういったことを日本の医療の問題として認識すべきで、どういったことをしたらいいのかということについて私の考えを述べます。第1部では、市場原理とか株式会社とか混合診療とかが今議論されているけれど、そういったことは議論するにも値しないほど、ばかばかしいことだということを申しました。日本の医療のことをまじめに考えるのだったら、もっと日本の医療のここを直せというところがたくさんあるのだから、そちらの方をもっと議論していただきたいということで、第2部の話をさせていただきます。
◇ 実例・・患者の権利
 まず1番目、患者の権利が保証されていないということであります。私は家族が病気をするたびに、日本の医療の大きな問題点が見えるという体験をすることになって、困るのですけれども、私の母親がある大学病院に入院したときに、いろいろなアビューズを受けました。アビュースを受けたことについて、是正処置をとってもらうとか、あるいはひどい医師を処分してもらうことを考えても、日本の場合持って行き場がないんですね。患者が訴える場がない。そもそも患者の権利が法律で保証されていないということで、泣き寝入りするしかない状況があります。
 アメリカの場合は患者の権利というものが法律で決まっています。私が住んでおりますマサチューセッツ州でも患者の権利法が定められています。マサチューセッツゼネラルホスピタルという病院に私は研究職で勤めていたわけですが、この病院に入院する患者には入院時に患者の権利10条というものを書いたものが渡されます。別に病院が勝手に自分でつくった患者の権利10条でありませんで、マサチューセッツ州の州法で定められている患者の権利をわかりやすい言葉に書き換えたものであります。
 その条文、患者の権利10条について紹介いたします。まず第1条、患者は思いやりがこもった礼儀正しい扱いを受ける権利があるのだと、
言っています。ケアリング・アンド・ポライトということを言うわけです。
2番目、自分の病状、治療、予後についての情報を得る権利。
3番目、治療にかかわる人の名を知り、どのように診療が行われるのかを知る権利。トレーニング中の人が診療にかかるときも、その人がトレーニング中であるということを知る権利。
4番目、治療に対し、イエス、ノーを言う権利。
5番目、アドバンス・ディレクティブス、代理人指名の権利。これはちょっと日本ではなじみがないかとも思いますけれど、例えば自分ががんである。がんが重くなって、レスピレーター(呼吸器)をつなげる必要が仮に生じたとしても、自分はそこまでやってほしくないから、もしそういう状況が生じて、自分に意識がなかったら、レスピレーターにつなぐようなことはしないでくれ、あるいはリサチテイション(蘇生処置)が必要になった場合に、自分はもう蘇生処置は受けたくないから、そのまま安らかに死なせてくれ。ドゥ・ノット・リサチテート(DNR)というのですけれども、そういったことを事前に指示を出しておくというのがアドバンス・ディレクティブスです。代理人の指名というのは、自分に判断能力がなくなってしまった場合に、例えば自分の配偶者が自分の利益を考えて判断してくれるので、その人の指示に従ってくれと、代理人を指名しておくということで、そういったものをする権利。そういった指示があれば、病院としては尊重しますよということです。
6番目、診察、相談時のプライバシー。
7番目、カルテを見る、あるいはコピーを得る権利。
8番目、臨床研究に加わる、あるいは加わることを拒否する権利。
9番目、持って回った言い方ですが、何かをリクエストした後、病院側がすばやく対応することを期待する権利。何か言った後、知らん振りされませんよということですね。
10番目、苦情を申し立てる権利。苦情を申し立てても診療に影響が出ないことを保証します。これだけのことを書いて患者さんに渡しているわけであります。
 こういったことを守らないと、それは医療者の側に非があるということが明らかにされているわけであります。
◇ 患者の責任
 患者さんの権利も配って渡しますが、マサチューセッツ総合病院では患者の責任ということについても、義務としての5条をお願いしています。
1番目、病状に関連する情報を正直に言ってください。
2番目、説明がわからないときは、そう言ってください。医師、看護婦に言われたことができないときは、できないとおっしゃってください。
3番目、ほかの患者には迷惑をかけないようにしてください。
4番目、禁煙。病院の敷地全部禁煙です。どうしても吸わずにいられない人は、例えばIVHつなぎながら、歩道まで出て行って、IVHを引きずりながらタバコを吸っています。冬はマイナス20度になりますので、吸わずにいられない人は命がけで吸うことになります。
5番目、アメリカらしいですが、支払いについて必要な情報を与えてくださいよということを義務としてお願いしています。
 さらに、日本の場合は患者が泣き寝入りするしかないのですが、アメリカの場合は患者が苦情を訴えることが制度として整備されています。例えば病院の中に苦情処理部門がありまして、マサチューセッツゼネラルホスピタルの場合は患者支援室(ペイシェント・アドボカシー・ルーム)というのがありまして、そこに苦情を申し出ますと、迅速、適切な処置を行うということが約束されております。
 病院にとっても、患者さんの誤解が大きくならない間に患者さんの誤解を解くということについては、過誤訴訟の発生を減らすというメリットがありますので、患者支援室というものは院長直属の組織として序列上高い地位を与えられています。
 あと、行政の方にも苦情を受け付ける部門がありまして、これが医師免許、あるいは薬剤師、看護師、それぞれに監察部門があるのですが、免許監察委員会(通称「ボード」)で患者からの苦情を受け付けています。自分はこれこれこういう医師にとてもひどい目に遭ったということで、患者からの苦情を受け付けています。苦情が出ますと、審査しまして、その落ち度のぐあいによって、ひどい場合は免許の取り消し、あるいは一時停止、あるいは再訓練の命令というようなことを出しまして、制度として患者の権利を保証する、あるいは苦情に対して対応するということが用意されています。
 日本の場合は情けないことにそういう制度がありませんので、後ほどシンポジウムにシンボジストとして出られます辻本さんなどがしておられますように、NPOがボランティアとして患者のお手伝いをする、COMLのほかにあと九州の方に患者の権利オンブズマンというのもありますけれども、日本ではそういったボランティアの努力に頼っているという現状で、非常に情けないかと思います。
◇ インフォームドコンセント
 2番目の問題はインフォームドコンセントが誤解されているということであります。インフォームドコンセントというのは、医療者が患者にサインしてもらって、後々訴訟になったときに困らないようにする書類だと思っている人があるかもしれませんが、そういうものではありません。患者と医療者が治療のゴールを共有して、そのゴールに向かってどういう治療をしたらいいのか。そのプランを共同で作成するプロセスであります。書式でありません。プロセスです。ですから絶え間ないコミュニケーションの過程というのがインフォームドコンセントの本体、真意であります。
 根底にある理念は患者の自己決定権ということであることは言うまでもありません。ところが日本では何十年も、「知らしむべからず、寄らしむべし」という言葉があるように正反対のことをしてきたので、このインフォームドコンセントというものがないがしろにされてきたり、あるいは誤解されていたりする現状があるようです。
 インフォームドコンセントに含まれるべき情報ですが、第1に病状、第2に治療の説明、あるいは大体の治療法の可能性、あるいは無治療の場合にどうなるかといった情報、治療にどのようなことが期待できるのか、あるいはその反対に治療にはどのようなリスクが伴っているのか、ということが含まれます。また、結果が断言できない場合は医療者はそういったことを患者に情報として正直に伝えないといけません。治療が副作用を生じて、後戻りのできない副作用を生じる場合についても、そのことをちゃんと正直に告げなければいけません。トレーニング中の医療者が治療にかかわる場合も、そのことを告げなければなりません。患者のサンプルを教育、研究に使用することについても、ちゃんと許可を得てからするというのが原則であります。これだけのことを満たして、インフォームドコンセントを得るというのが決まりであります。
◇ 医療費問題
 日本の医療の問題の3番目、医療にお金をかけることをいまだにむだのように考えている社会の考え方があるということです。医療にかけるお金がむだという認識というか、思い込みがあるから、医療費が高すぎるとか、そういったことで、コスト削減の議論ばかり、銭勘定ばかりするのではないかと思います。まず日本の医療費が本当に高いのかということですが、これは2000年のデータですが、先進諸国の医療費、GDP当たりの比率、あるいは1人当たりの医療費の額ということで比較しております。一番高いのはアメリカで、GDPの14%近くを医療に支出しています。2番目に高いのがドイツ、10.6%。3番目がフランス、9.5%ということで、順番を見まして、パターンがあるのですが、GDPの総額が高い国ほど医療にもふんだんに金を使うというのが特徴になっているわけです。富める社会ほど医療にふんだんに金を使うというパターンがあるわけですが、その例外が日本であります。GDPの総額は世界第2位であるにもかかわらず、GDP当たりの医療費の割合は7.8%。日本と同じか低い国というのは、白字で示していますが、ノルウェーの7.8%が日本と一緒ですが、絶対額で見ますと、日本よりも1人当たりの支出額は高い。日本より低い国はイギリスしかありません。
 イギリスは実は国民皆保険制を税金で運営しているのですが、医療費をケチりすぎたということを反省しています。国民皆保険制はいいのだけれども、医療に向ける予算をケチりすぎたためにアクセスに障害を生じてしまった。イギリスの手術待ちの時間の長さは有名なのですが、がんの待機手術を何カ月か待っている間に手術してお腹を開けてみたら、がんが広がってしまったというような情けない事態が続出しました。ブレア首相が2001年に、イギリスは医療費に金をケチりすぎた、これからはドイツ、フランス並みにGDPの10%まで持っていくように努力したいということで、今、毎年6.2%ずつ医療予算をふやしています。GDPの10%を目標にしてふやすということをブレアさんは言っているわけで、日本は今医療費を減らす努力していますので、いずれイギリスからも抜かれてしまう。世界の先進国の中で一番命と健康の値段が安い国になり下がる、そういった事態が必ずやってくるわけです。
 これはアメリカとの比較ですが、日本の医療費が高い、高い、医療費が突出して伸び続けているということをおっしゃいますけれども、アメリカと日本と比べますと、日本の医療費の伸びというのはかわいらしいものでしかありません。
 あと、日本ではコストを減らせ、コストを減らせと、言葉は悪いですけれど、ばかのひとつ覚えで、コスト、コストと言うのですが、実はコスト効率を改善するということを考えるのが本筋であります。同じお金を使うのでも、医療の質を良くして生きた使い方をしましょうというのが本筋であります。闇雲に診療報酬一律何%下げるというやり方をしますと、どうしてもクォリティに問題が生じる危険があります。闇雲なコスト削減を言うのではなく、コスト効率の改善というのを考えるのが政策の主眼であるべきだと私は信じています。
◇ コストとコスト効率
 コストとコスト効率ということの違いにつきまして、ちょっとややこしい表ですけれども、実例をお示ししたいと思います。これはカナダのデータです。末期の肺がんで、転移がある人に抗がん剤、化学療法を施行する。その場合にどれだけ命が残ったか、どれだけお金がかかったかということをまとめたものです。オンタリオ州のデータだったと思いますが、がん患者すべてのデータが登録されるだけでなく、がんの化学療法、治験をいたしますと、そのデータも全部プールされる制度になっています。ですからこういった9種類の治療についてコストと効果を比較できるという、手品のようなデータが容易に出てくるわけであります。
 この表に、化学療法をしなかった場合、それからいろいろな抗がん剤で治療した場合にどれだけのコストがかかったかということを数字でずらっと出しています。一番安かったのは、ビンブラスチンとシスブラチンという抗がん剤の組み合わせが一番安かったというデータが出ているわけであります。コストだけ考える人はここしか見ません。
 コスト効率を考える場合に、それぞれの治療にどれだけの効果があったかということを見なければなりません。ここに生存期間、何もしなかった場合と比べて延命効果ということが出てまいります。例えば1年間の延命効果を得るためにどれだけのコストがかかったのかということを考えるのがコスト効率の考え方であります。どれだけお金がかかったかではなくて、一定の効果を上げるためにどれだけのお金がかかったか。コストとその効果とを一緒に考える考え方であります。たまたまこの例の場合はコスト効率が一番いい治療と、コストが一番低かった治療と、最適な治療というのが一致したわけでありますが、コストだけを見た場合と、コスト効率を見た場合に、最適な治療の選択が変わる可能性があるわけです。
 さらにここで、高い治療ほど生存期間も長いということがおわかりいただけるかと思いますけれども、これは抗がん剤の値段ではなくて、医療費総体にどれだけかかったかという数字ですので、当然長く生きるとその分医療費もかかるのです。抗がん剤の値段が高い安いという数字ではありません。
 さらにクォリティ・オブ・ライフということを考えます。質ということを数字で計測するのですが、一番簡単な方法は患者に質問しまして、今あなたの状況はどこにありますかということでいろいろな数字を振ってもらうわけです。死んだ方がましという、最悪の状態は0、健康と変わらない最良の状態を1として、数字で答えてもらうのであす。オンタリオ州の肺がんのデーターで、何もしなかった場合、0.5というクォリティの数字が出てきますが、高い治療をしますと、0.65とか0.63とか、質、クォリティ・オブ・ライフも改善していくのがわかります。
 ここでコスト効率の計算法にクォリティ・オブ・ライフということも入れまして、クォリティが1、健康と変わらない状況を1年得るために、それぞれの治療でどれだけお金がかかったかを計算することが可能となります。一番よかったのは、たまたまこの場合はビンブラスチンとシスプラチンで、これが一番少ないお金で健康な状況と変わらない1年間を得るためのコストが一番安かったということが出てくるわけですが、これがコスト効率の考え方です。
 さらに長生きする治療ほどお金がかかるということを申しましたけれども、この肺がんで余命いくばくもない患者さんたちに、健康と変わらない状況の1年を得ていただくために、社会としてどれだけお金をかけることを許容するか。どれだけお金をかけるかという基準を変えることで治療法の選択が変わってまいります。1銭も余計なお金は使いたくないという立場(よけいなコストはかけたくないという日本の立場)でいきますと、一番いい治療はビンブラスチン・プラス・シスプラチンということになります。それに対しまして、カナダでは、カナダドルで5万ドル、400万円ぐらいはかけてもいいのではないかというコンセンサスがあります。とは言っても、400万円全部かかるわけではありません。1の状態で1年生き延びるということは難しいので、400万円かかる前に患者さんは亡くなってしまうのです。この「クォリティ・オブ・ライフが1の状態で1年生き延びていただくために400万円かけてもいい」という立場でしますと、一番よかった治療は実は「コストをかけたくない」という方針で順位付けした時6番目にしかならない治療法だったのです。コストだけを考えた時に優先順位6番だった治療が1番に変わってくるのです。社会として病気の人にどれだけお金をかけて病気の人を支援するかという立場、その基準を変えることで、最適の治療の選択法がガラッと変わるのです。2番目だった治療、何もしないという治療が400万円まで病気の人にかけてあげようではないかと立場をとりますと、最下位にランクされる、一番よくない治療に変わってしまうのです。
 こういった考え方で、コスト効率を考えて最適の治療を選ぶというのが私は本筋だと思うのですが、どうも日本の場合、コストを減らせの一点張りで、政策に芸がないとしか言いようがありません。
 コストとコスト効率の違いをまとめます。治療方法を選択する場合に、コストを基準にするか、コスト効率を基準にするかで、その選択が変わる可能性があります。医療の質を重視する立場からは、単なるコスト抑制を目指すよりも、コスト効率の改善を目指すことの方が当然のことながら、理にかなっています。
 さらに社会として、病者に対してどれだけのコストを許容するかという基準を変えることで、最適の治療方法の選択が変わってまいります。ここまで考えて政策を考えていただきたいというのが私の希望であります。
◇ 医療の質の問題
 日本における医療改革の議論の中で、診療報酬の支払い方式を変えることで医療の質をよくするという主張があります。定額の支払い方式にすると、入院医療が標準化されて、医療の質が自動的によくなるということをおっしゃるわけですが、詭弁にしかすぎません。医療の質の問題というのは3つしかありません。1、過剰使用(オーバーユース)、不必要な医療サービスが行われる。2、過少使用(あんだーゆーす)、必要な医療サービスが行われない。3、誤使用(ミスユース)、誤った医療サービスが行われる。この3つしかカテゴリーはありません。出来高払いの危険は医療サービスの過剰使用を奨励する危険がある。やれば儲かるということで、必要もない医療が行われる危険があります。定額支払いの危険はやらないほど儲かるということで、必要な医療サービスが行われない危険が生じます。出来高払いも定額支払いも支払い方法そのものに誤使用の防止を奨励するインセンティブは含まれておりません。ですから診療報酬の支払い方式を変えて、自動的に質がよくなる、悪くなるという議論は意味をなさないわけであります。
 医療の質とコストについてですが、コスト抑制を目的とした診療報酬制度の改変で、同時に医療の質も改善するという主張は根拠がありません。むしろ闇雲なコスト抑制は質の悪化を招く危険があります。
 2番目、医療の質を改善するためには、医療の質を改善するための直接の施策を実施しなければなりません。
 3番目、医療の質をよくする努力は医療におけるコスト効率を改善することが期待されます。さらに医療の質をよくする努力は医療サービスの過剰使用、過少使用、誤使用を減らして、結果としてコストを削減する可能性があります。日本の医療制度改革の議論は攻めどころが間違っているのです。コストを闇雲に下げるのではなくて、質をよくすることにもっと努力を傾注すべきだということが今日の話のポイントの1つであります。
◇ 55才以上の該当者に
 コストエフェクティブネス、コスト効率の考え方を突き詰めていきますと、とんでもない革命的な考え方も登場してきますので、その話をちょっと紹介いたします。これは今年6月に「ブリティッシュ・メディカル・ジャーナル」に出た論文ですが、腰を抜かすほど驚くような内容の論文であります。循環器病、心筋梗塞とか脳卒中の発作を予防するために効くとわかっている薬を1錠にまとめて55歳以上の人全部に飲ませてしまえという論文です。これは今までの「エビデンス・ベースド・メディシン」の論文を全部総合して主張しているのですが、心筋梗塞とか脳卒中は、リスクファクターわかっているのだから、リスクファクターを減らす効果があるとわかっている治療は全部始めようという乱暴とも言える考え方です。コレステロールを下げる薬、血圧を下げる薬3種類、ビタミンが1種類、アスピリン、これは血小板が凝集するのをふせぐのですが、この6種類を1錠にして、1日1回飲ませる。対象は既往のある人、それから55歳以上になった人全部。非常に乱暴な話です。事前に血圧を測ったり、リスクファクターを測ったりする必要もない。何もしないで、55歳以上の国民全部に飲ませてしまう。そうすると、飲ませ続けたら、虚血性心疾患は88%、脳卒中発作は80%発症が減る。55歳以上の人全部に飲ませたら3分の1の人に御利益が期待できる。御利益の中身は、寿命が11年延びるというのです。腰を抜かすほど驚いたわけですが、医者の仕事はこの薬を飲ませて副作用が出たら、そのとき初めて出ていけばいいと言うのです。保健所の検診も要らない、医者の検診も要らない、医者が処方箋書くことも要らない。この薬を全部飲ませてしまえという乱暴な考え方ですけれども、コスト効率の考え方を突き詰めていくとこういう革命的なアイディアも出てくるわけです。  水道の水に混ぜてしまえというところまではまだいっていないのですけれども、虫歯の予防にフッ素なんか入れていますのでね。極端な例ですが、こういったことも将来的には考えないといけないかもしれません。
◇ 健康な人が医療費を払わなければ誰が払うか
 医療を支えるお金がない、ない袖は振れないということを言うのですけれども、医療保険制度がなぜ必要なのかという根本に立ち返って、お金の問題を考える必要があると思います。まず医療保険がなぜ必要かということですけれども、これは大きな病気になった場合に、もう働けないわけですから、そういったカタストロフに陥った人の救済、あるいはカタストロフに陥ることを回避するというのが医療保険制度が存在する本来の理由であります。病気になった人に医療費全部払えといっても、もう働くことができないから払えないわけです。ですから医療保険のコストあるいは医療のコストというのは健常者が支えるというのが医療保険制度の前提であります。
 最近なぜお年寄りの病気のために若い人が保険料を払わないといけないんだいうとばかなことを言う人がいるのですが、それは違う。元気な人が保険料を払わなかったら、払う人はいないのですから。ですからアメリカなどで、市場原理で医療保険を運営しますと、保険の細分化ということが起こります。日本でも現実に起こっているわけで、国保と社保で財政の状況が全く違うという矛盾が起こってくるのです。実は保険というのは1個にまとめるのが一番合理性が強いわけです。元気な人だけで保険をつくると当然安い価格の医療保険というのができるのですけれど、その代わり、病気の人は医療保険に入れなくなるという困ったことが起こります。保険の細分化というのは非常に問題があるわけです。
 将来的に本当にお金がなくなった場合にどういうことを考えるかということですが、診療報酬を下げるとか、自己負担を一律上げるとか、そういったことではなくて、保険の存在理由というのはカタストロフの回避、救済ということにあるわけですから、医療の必要度に応じて、カタストロフに近いもの、カタストロフそのものについてはこれは保険でカバーしましょう。ですけれども、カタストロフからは縁遠いようなもの、例えば風邪引きとか、かすり傷について、今医療保険でやっているわけですけれども、カバーする必要はなかろうという形で、例えば必要度に応じた保険給付ということも可能でしょう。さらに臓器移植の例をとっていただいてもわかりますように、医療の資源が枯渇している場合にそれを配給制で配るということが行われるわけです。臓器移植の場合でも、臓器を受けることができる人(レシピエント)の優先順位ということが決められていまして、社会が公正と認めるルールのもとで限られた医療資源を配分するということをしているわけです。ですから将来的に本当にお金が困窮した場合、GDPの20%を医療費にかけて、もう本当にお金がなくなったとかそういうような状況が出た場合には資源の配分ということについて、社会が合意できるルールを決めるということも考えられるかと思います。ただ一律に診療報酬を下げるとか、自己負担を上げるとか、芸のないやり方では困ると思います。
◇ 医療教育のお粗末さ
 医師教育のお粗末さということが第4の問題なのですが、医師教育のお粗末さの根本にあるのは、医師教育にお金をかけていないということが一番の根本にあるわけです。アメリカでは研修医1人当たりに10万ドル、直接のコストとして10万ドルかけています。さらに研修病院については、診療報酬を手厚く設定しています。それを間接コストというのですけれども、国家としてまともな医師を育てることにばく大な予算を使っています。
 あと、日本の問題は医局講座制の問題であります。人事と情報の交流が妨げられているわけですが、第1外科と第2外科で医局が違うと、同じ病気の手術でも術式が全く違う。だけど隣の教室のことには口を出さないということで、医療が行われているわけです。そういったことがいけない。
 情報をツーツーにするとどんないいことが起こるかということで、実例を示しますが、これはニューイングランドの3つの州、バーモント州とニューハンプシャー州とメイン州の3つの州で、心臓外科をやっている病院が21集まりまして、総合学習グループというのをつくった例であります。それぞれの病院を持ち回りで回りまして、術前のカンファレンス、手術、術後のケアというものに立ち会います。おまえのところはなんであれをやらないのとか、おまえのところはなんでそんな変なことをしているんだということをオープンに勉強し合うわけです。で、よかろうと思われることを結集して、心臓手術のやり方を変えるわけです。そうしますと、これが学習期間及び学習後と、学習前で死亡率を比較しますと、死亡率が3分の1減るという効果を上げています。日本のように、医局講座制で閉ざされた社会で医療をしていますと、こういったこともできないわけであります。
 あと、教え役の医師が絶対的に不足しているわけでありますが、これも論文の数で教授を選ぶというようなばかなことをしていますので、なかなか臨床ができる、あるいは教えるのがうまいという人が指導的地位に立てないということがあるわけであります。来年から研修の必修化が実施されて、どう変わるのか、注意して見ていきたいと思います。
◇ 医療の質の保障
 最後の問題になりますが、医療の質の問題の中で、日本に医療の質を保証する制度が社会の中に用意されていないということが根本的な問題としてあります。アメリカの場合は例えばJCAHOという、病院の認証機関があるわけですが、この認証機関の審査に通らないと、公的医療保険の指定医療機関になれない。公的医療保険が病院収入の4割を占めていますので、この審査に通らないと、病院経営が成り立たないということがあります。制度としてそうされていますので、その審査に通るということに強制力があるわけです。日本の場合は医療機能評価機構というのがありまして、審査していますけれども、これは今のところボランタリー、自主的な審査ということになっていまして、何ら強制権は付与されていませんし、診療報酬とも結びついているわけではありません。
 このJCAHOという認証機関がアメリカで医療施設の質を社会に保証する役割を担わされているわけであります。
 個々の医療者については、先ほど苦情処理機関ということで紹介しましたけれども、ボードというところが免許の管轄を通しまして、例えば医療事故を繰り返すような医師、あるいは患者に対して不埒な行為を繰り返すような医師については、免許の取り消し、停止を行うという形で管理しています。個々の医療者あるいは医療施設について、社会としてその質を保証する制度がアメリカの場合は整えられています。

 アメリカはいきなりこうなったということではありませんで、実は長い歴史があります。アメリカにおける医療の質を追求した歴史を始めたのがアーネスト・コドマンさんという方です。100年ほど前に活躍した人ですが、彼は病院の効率はお金ではないのだ、病院をやって儲かった、損したで考えるのではなくて、患者の役に立ったか役に立たなかったかで、病院の生産性というのは判断されるべきだということを言います。
 「最終結果制」という思想あるいはシステムをとなえるわけですが、たとえば、彼は外科医だったのですが、自分が手術した患者の1年後の状況がどうなったのか、手術の前よりよくなったのか、悪くなっているのか、今で言うクォリティ・オブ・ライフの考え方も取り入れて、結果がどうなっているのかということを調べたわけです。マサチューセッツゼネラル病院、ハーバードの大病院のお偉方にこの制度を入れなさいと言うのですけれども、無視されてしまう。しかたがないので、自分で病院を開いて、自分の信じるところを友人の医師の協力を得ながら、実践する。自分で病院を立てて、すべての患者についてその結果を公表する。自分が手術を失敗して死亡させてしまった患者の事例も含めて、すべてのデータを公表したのです。
 このコドマンという偉い人が最終結果制を提唱したのが1910年。13年になりますと、このコドマンが中心となって、アメリカの外科学会に病院標準化委員会というのができます。これが後に今お話ししました認証機関(JCAHO)へと発展していくのです。コドマンという偉い人がすべてを始めたおかげで、アメリカでは医療の質を社会として保証する制度というのができてきたのです。コドマンが最終結果制(エンドリザルトシステム)ということで、アウトカムリサーチの原型を始めるわけですが、99年なりますと、アウトカムリサーチを推進するということが連邦政府の法律で決まりまして、そのためのお役所もちゃんと充実されるということになりました。コドマンの思想が100年近くたった後、こうやって結実しているわけです。
 私が一番感心しますのは、だれに言われたわけでもなくて、だれからも強制されたわけでなくて、コドマンという1人の医者が始めたことをアメリカ外科学会の仲間たちが支えて、始めてきた、ということです。医療の側が自主的にこういった医療の質を追求する実績を積み重ねてきたのだということを強調したいと思います。
 コドマンは自分の最終結果制というのをハーバードの偉い人たちにも実践しろと迫ったのですがなかなか聞いてもらえない。業を煮やして、自分の思想を宣伝するために、ある日講演会を開く。ボストン市長を呼んで、人を集めて、講演会を開く。自分の番になったときに、こういった漫画を出して、物議をかもすわけです。真ん中でダチョウが地面に頭をうずめて、黄金の卵を蹴り出している(何も知らずに医者や病院に言われるままに金を払う患者を象徴させています)。ボストン中の医者がこの患者がけり出す黄金の卵に群がって、取り合っている。マサチューセッツゼネラルホスピタルの理事とか、ハーバードの医学部長とかが頭を掻きながら、「患者はいつまで黄金の卵を蹴り出してくれるかね」と、言わされているわけですが、こういった漫画を出して、患者に何も知らせないような似非医療が横行していると批判するわけです。規制の医療を批判してハーバードの怒りを買い、彼は講師の職を解任されてしまいました。
◇ 日本の医療は医療の質と患者の権利から
 私がなぜこの漫画を示すかといいますと、今の日本の医療、患者の立場がこのコドマンが描いた、100年近く前に画家に描かせた漫画の立場にあるのではないかということを危惧するからであります。インフォームドコンセントということが本当に行き渡っているのかということを危惧するのであります。
 医療の質を改善するために、いろいろな方策が考えられるのですが、まず安全性ということについてはもう規則や法律で強制する。カスタマイズした医療(エビデンス・ベイスド・メデイシン)については、経済的な動機づけでやらすということが一番よかろうといわれています。
 アメリカで実際に質にを測って、診療報酬を変えるということを実施する動きが始まっています。カリフォルニアでは州政府などの保険支払い側が集まりまして、質を測って、質に応じて診療報酬を変えるということが実際に制度として動かされています。診療の質ということで、多くはプロセスの項目を計測して、50%のウェイト、それから患者の主観的な満足度に4割の重きを置く。さらに電子カルテにどれだけ投資しているかということで、10%の重きを置いて、点数をつけて診療報酬を変えるということを始めています。
 コドマンの思想が法律になったということを言いましたが、その法律に基づきまして、アメリカ科学アカデミーもアメリカの医療の質をどのようにしてよくするかという提言を行っています。3冊の本が今まで出版されていますが、医療の質を高めることが国家としての政策になっているわけであります。この3冊目の本で言われていますことは、国が率先して医療の質を高める努力を始めましょう、国は国立病院を持っている供給者であるから、医療の質をどう高めるのかという見本を示す。国は公的医療保険を運営しているのだから、保険者として医療機関、医師に対して質を高めるための圧力をかける。それから国は研究予算を配っているのだから、どうしたら医療の質がよくなるのかということを予算をどんどん分配して、医療の質をよくする研究を推進する。さらに医療の質についてのデータをとって、そのデータに従って、診療報酬の額を変えるということを始めるということで、もう既に5セットのデータの計測が始まっています。来年にはこのデータ計測に10セット追加されるということで、医療の質を高めるための国策が実施に移されています。
 結語ですが、今会場におられる石井暎禧先生の、「日本の医療は質から攻める」という言葉の受け売りなのですが、「日本の医療はコストからではなくて、医療の質と患者の権利から攻める」ということを強調して、私の講演を終わりたいと思います。
 どうもご清聴ありがとうございました。(拍手)

ページトップ